戦国グッズ
榊原康政マグカップ
品番: 009
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

榊原 康政(さかきばら やすまさ) 天文17年(1548年) ー 慶長11年5月14日(1606年6月19日) は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。上野国館林藩の初代藩主。徳川氏の家臣。康政流榊原家初代当主。
榊原氏は三河・伊勢・伊賀守護仁木義長の子孫である。天文17年(1548年)、榊原長政の次男として三河国上野郷(現在の愛知県豊田市)に生まれる。榊原氏は松平氏譜代家臣の酒井忠尚に仕える陪臣であった。康政は幼くして松平元康(徳川家康)に見出され、小姓となる。三河一向一揆の平定に従軍した。このとき、家康から武功を賞されて「康」の字を与えられた。康政は兄・榊原清政を差し置き、榊原家の家督を相続しているが、その理由として2説がある。まず長兄は、三河一向一揆に参加したため遠ざけられたとする説。また、徳川家康の長男・信康(謀反の疑いで切腹)に近侍していたことをあげる説がある。
永禄9年(1566年)、19歳で元服。同年齢の本多忠勝とともに旗本先手役に抜擢されて、与力50騎を付属される。以後も家康の側近にあって、旗本部隊の将として活躍。家康が駿河の今川氏から独立し、尾張の織田信長に従うと、姉川、三方ヶ原、長篠など数々の戦いで戦功を立てた。特に姉川では朝倉軍の側面攻撃で多大な武功を立てている。天正9年(1581年)の高天神城攻めでは先陣を務めた。
天正12年(1584年)、家康が織田信長の死後に頭角を現した羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立し、小牧・長久手の戦いに至る。この合戦で、三好秀次(のちの関白・豊臣秀次)の軍勢をほぼ壊滅に追い込み、森長可(森蘭丸の兄)、池田恒興を討ち死にさせた。また江戸時代に成立した『藩翰譜』によれば、康政は秀吉の織田家の乗っ取りを非難する檄文を書いたという。
