戦国グッズ
柴田勝家マグカップ
品番: 010
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)
柴田勝家 1522-1583大永2年(1522年)、尾張国愛知郡上社村(現:愛知県名古屋市名東区)で生まれる(異説あり)。生年には大永6年(1526年)説や大永7年(1527年)説もあり、明確ではない。出自は不明で父親の名前もわからない。おそらく土豪階層の家の出身であると思われる。
若いころから尾張の織田信秀の家臣として仕え、尾張愛知郡下社村を領したという。地位はわからないが信長継承の頃には織田家の重鎮であった。天文20年(1551年)に信秀が死去すると、子の織田信行(信勝)に家老として仕えた。
本能寺の変後、織田氏の後継者問題では勝家は信長の三男・織田信孝を推したが、明智光秀を討伐したことで実績や発言力が大きかった羽柴秀吉(豊臣秀吉)が信長の嫡孫・三法師(織田秀信)を擁立したため、織田氏の家督は三法師が継ぐこととなり、信長の遺領配分においても河内や丹波、山城を増領した秀吉に対し、勝家は北近江3郡、長浜城(現在の長浜市)を得るにとどまり、勝家と秀吉の立場は逆転してしまった(清洲会議)。なお、この後に羽柴秀吉の仲介を受けてお市の方と結婚している(従来は信孝の仲介とされて来たが、秀吉の仲介の書状により、秀吉による仲介説が有力となっている)。
その後勝家は滝川一益、織田信孝と手を結んで秀吉と対抗するが、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市とともに自害した。享年62。辞世の句は「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」。
菩提寺は、福井県福井市の西光寺と滋賀県高島市の幡岳寺。位牌も現存している。
