戦国グッズ
小早川秀秋マグカップ
品番: 011
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)
小早川 秀秋/羽柴 秀俊(こばやかわ ひであき/はしば ひでとし、1582年 - 1602年12月1日)は、安土桃山時代から江戸時代初頭の大名。木下家定の子で、豊臣秀吉の正室・高台院の甥にあたる1。正室は毛利輝元の養女(実父は宍戸元秀、祖母は毛利元就の長女)。従三位、権中納言。筑前を領有したため筑前中納言、左衛門督を兼ねたことから、小早川金吾、金吾中納言とも称された。関ヶ原戦い以後、秀詮(読みは「ひであき」と変わらない)と改名するが秀秋と表記されることが多い。
関ヶ原合戦時、小早川隊の裏切りを予測していた大谷隊は予備兵力600や配下の平塚・戸田隊でこれを迎撃。数に任せて攻め込んだ筈の小早川隊は圧倒的兵力差にも関わらず無様な遁走を演じ、3度も大谷隊に追い立てられたという。しかし、小早川同様東軍と内通していた脇坂安治、赤座直保ら西軍の諸将が次々と寝返りに及び、平塚・戸田両隊が壊滅。大谷隊も遂に支えきれず敗走し、大谷吉継は自害した。なお、脇坂ら4将は元々小早川隊の内応に備え配置されていたが、小早川隊が寝返り後これらの部隊を無視し真っ先に大谷隊に攻め込んでいることから、これらの武将も東軍同様小早川隊と連絡を取り合っていたと考える方が自然である。
この参戦により大勢は決し、夕刻までに西軍は壊滅、石田三成は大坂を目指し伊吹山中へ逃亡する。
