戦国グッズ

浅井長政マグカップ
浅井長政マグカップ 浅井長政マグカップ

浅井長政マグカップ

浅井長政マグカップ

品番: 013
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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azai.jpg 浅井 長政(あざい ながまさ、旧字体表記:淺井 長政)1545ー1573は、戦国時代(室町時代末期)の武将で、北近江の戦国大名。浅井家の4代目にして最後の当主(大名としては3代目)。豊臣秀頼や徳川家光の祖父。曾孫は徳川家綱・綱吉や明正天皇など多数。

なお、名字および所領地の「浅井」の読みは「あざい」が正しく、「あさい」という読み方は誤りであると考えられてきたが、最新の研究では、やはり「あさい」が正しいという学説もある(宮島敬一著「浅井氏三代」参照)。

天正元年(1573年)7月、信長は3万の軍を率い再び北近江に攻め寄せる。長政は義景に援軍を要請、義景は2万の軍で駆けつけるが織田の軍勢が北近江の城を落とし始めるとまともに交戦もしないうちに越前に撤退を始めた。信長は逃げる朝倉軍を追撃し滅亡させた後(一乗谷城の戦い)、軍を浅井氏に向けた。

もはや長政に反撃の手段は無く、信長の大軍によって一方的に勢力範囲を削られるのみであった。ついに本拠の小谷城(滋賀県湖北町)が織田軍に囲まれる。しかし信長は長政を高く評価していたようで、一気に進撃せず、何度も降伏勧告を行った。降伏した後は大和へ新領地を与えるという、裏切りを嫌う信長にとっては破格の案も出されたという。不破光治、木下秀吉なども使者として送られたが長政は断り続け、最終勧告も決裂した。

長政と仲睦まじかった正室の市は運命を共にする決意であったが長政から諌められ、帰還を決意した。市が信長の陣営に帰還する時、浅井・織田軍も一切の攻撃をしなかったと言われている。

同年9月1日(9月26日)、父の久政と共に自害。享年29。

一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月の宴席において箔濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)にした義景、久政・長政父子の三ツ首を御肴として白木の台に据え置き、皆で謡い遊び酒宴を楽しんだとある。なお、これを杯にして酒を飲んだという俗説もあるが史料には見当たらない。

墓所は滋賀県長浜市の徳勝寺。