戦国グッズ

竹中半兵衛マグカップ
竹中半兵衛マグカップ 竹中半兵衛マグカップ

竹中半兵衛マグカップ

品番: 016
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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takenaka.jpg 竹中 重治1544-1579(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。諱は重虎(しげとら)ともいわれる。半兵衛(はんべえ)の通称が有名である。父は竹中重元、弟に竹中重矩。従兄弟に竹中重利。子に竹中重門。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍した名将である。戦国時代を代表する軍師であり、同時代の黒田孝高(黒田官兵衛)と並んで天才軍師1と称されている。

永禄10年(1567年)、信長の侵攻により美濃斎藤氏は滅亡した。すると信長は、重治を家臣として登用したいと考え、美濃攻めで頭角を現していた木下藤吉郎秀吉(羽柴秀吉)に織田家に仕えるように誘わせた。重治はこのとき、秀吉の才能を見抜いたとされており、信長に仕えることは拒絶したが、秀吉の家臣となることは了承したとされる。

後に信長包囲網が敷かれ、信長と浅井長政が敵対関係になると、重治はかつて長政の家臣時代にあった浅井家臣団との人脈関係などにより、主に調略活動で活躍した。元亀元年(1570年)には浅井方の長亭軒城や長比城を調略によって織田方に寝返らせている。直後の姉川の戦いにも参加した。

秀吉が織田家の中国遠征総司令官に任じられると、重治は秀吉に従って中国遠征に参加する。天正6年(1578年)に宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、信長に賞賛された。同年、信長に対して謀反を起こした荒木村重に対して(有岡城の戦い)、秀吉幕僚の黒田孝高(黒田官兵衛)が有岡城へ赴き帰服を呼びかけるが、城内で捕縛されたため、信長は孝高の嫡男・松寿丸(後の黒田長政)の殺害を秀吉に命じた。しかし重治は秀吉に偽の首を進呈させ、松寿丸の命を助けたのである。この後、助け出された孝高はこのことを非常に感謝し、竹中家の家紋を貰い受けている。

天正7年(1579年)4月、播磨三木城の包囲中に病に倒れた。秀吉は重治の病状を心配して京都で療養させたが、重治はすでに自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して6月13日に死去。享年36。死因は肺の病気(肺炎か肺結核)とされる。