戦国グッズ

鍋島直茂マグカップ
鍋島直茂マグカップ 鍋島直茂マグカップ

鍋島直茂マグカップ

品番: 034
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: nakamizo
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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nabesima.jpg 鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は肥前の戦国時代・安土桃山時代の武将。肥前佐賀藩の藩祖である(ただし、正式には藩主になっていない)。数回改名しており、直茂は後期に名乗った名前であるが、この項目での呼称は直茂で統一する。

豊臣秀吉に早くから誼を通じて、島津氏に恭順しつつも裏では九州征伐を促した。この一連の動きを秀吉は高く評価し、龍造寺氏とは別に所領を安堵し、龍造寺政家に代わって国政を委ねるよう命じた。そのため、国政の実権は直茂が掌握するところとなり、朝鮮出兵においては龍造寺家臣団を率いて渡海した。この朝鮮出兵を経て、龍造寺家臣団の直茂への傾倒が一層促進された。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、息子の勝茂が当初西軍に属して積極的に参戦したが、直茂は東軍勝利を予測しており、関が原での本戦が開始される以前に勝茂とその軍勢を戦線から離脱させている。その後直茂は、家康への恭順の意を示すために九州の西軍諸将の居城を攻撃することを求められ、小早川秀包の居城久留米城を攻略、次いで立花宗茂の居城柳川城を降伏開城させた。更に直茂は、他の東軍諸将と共に島津への攻撃まで準備したが、こちらは直前に中止となった。一連の九州での鍋島氏の戦いは家康に認められ、肥前国佐嘉の35万7000石は辛うじて安堵されている。

龍造寺政家が病死すると、その子の龍造寺高房は幕府に対して佐賀藩における龍造寺氏の実権の回復をはたらきかけた。しかし、幕府は直茂・勝茂父子の龍造寺氏から禅譲を認める姿勢をとり、隆信の弟・龍造寺信周や龍造寺長信らも鍋島氏への禅譲を積極的に支持した。このため、龍造寺高房は直茂を恨んで憤死した。

その後直茂は、龍造寺一門へ敬意を表しながらも、その影響力を相対的に弱めた。勝茂もその施策を継承し、子息に相次いで支藩を立藩させるなどしている。ただ、直茂は龍造寺氏・家中への遠慮があったためか、藩主の座に就くことはなく、初代藩主は勝茂となった。そのため、直茂は藩祖と称される。

元和4年(1618年)6月3日に病死。享年81。当時としては長命であるが、耳に腫瘍ができ、その激痛に苦しんだ上での半ば悶死であったため、龍造寺高房の亡霊のしわざではないかと噂され、これが「鍋島家化け猫騒動」のモチーフのひとつとなった。

佐賀市高伝寺蔵成富益峯筆鍋島直茂像(佐賀県立博物館に寄託)の石田一鼎による賛には「従五位鍋島加賀守藤原朝臣直茂法諱日峯宗智大居士父駿河守清房母龍造寺豊後守家純嫡女也」とある。