戦国グッズ

伊達政宗マグカップ
伊達政宗マグカップ 伊達政宗マグカップ

伊達政宗マグカップ

品番: 037
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: nakamizo
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

商品のご注文について

商品のご注文は、メールまたは電話(0749-22-0071)にてお願いいたします。› 詳しくはこちら

date.jpg 伊達 政宗(だて まさむね、1567年9月5日 - 1636年6月27日)は、戦国時代の武将。出羽国(羽州)と陸奥国(奥州)の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。

本姓は藤原氏。家系は伊達朝宗を祖とする伊達氏。第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。幼名は梵天丸、字は藤次郎、諡号は貞山。神号は武振彦命で、青葉神社に祭られる。

幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、また、戦国屈指の教養人として、豪華絢爛を好むことで知られていた。諱の「政宗」は伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかったもので、この大膳大夫政宗と区別するべく藤次郎政宗と呼ぶことも多い。

豊臣秀吉死後の慶長5年(1600年)に家康が会津領主・上杉景勝に謀反容疑をかけ、上杉討伐を行うと従軍して、7月25日に上杉の支城で登坂式部勝乃が守る白石城を陥落させた。家康の留守中に五奉行の石田三成らが家康に対して毛利輝元を総大将として挙兵し、小山まで北上していた家康は西へ向かった。この際、家康は政宗に、戦勝の暁には現在の所領58万石に加え、新たに49万石の領土を与えるという内容の書状(「百万石のお墨付き」仙台市博物館・蔵)を送っている。これは、家康が上杉景勝を会津に釘付けにしておくため、政宗の東軍参加が是非とも必要であったことから、100万石のお墨付きを与え、東軍参加を促したとされる。

同年9月、関ヶ原の戦いになると、家康ら東軍に属した政宗は、上杉氏の将直江兼続率いる軍が最上氏居城山形城を攻撃すると、留守政景を名代として最上に援軍を派遣した(長谷堂城の戦い)8。 9月25日には茂庭綱元に命
じて、上杉領の湯原城を攻略させた。

政宗は長谷堂城の戦い後、直江兼続が米沢に帰ったのを見て取ると、仙道方面への侵略を開始、10月6日宮代で本庄繁長の上杉軍を破った。伊達軍は更に福島城を囲んだが、城の防御は堅く、翌日には撤退した(宮代表合戦、上杉家俗称松川の戦い)。

戦後、政宗が密かに白石宗直に支援させて、南部氏領国で和賀忠親に一揆を煽動させていた策略が発覚した(一揆軍は翌慶長6年4月に敗北)。この「和賀一件」を重く見た家康は、事件追及の構えを見せ、49万石加増、すなわち計100万石の約束手形を反故にした。結果的に政宗への恩賞は、仙台開府の許可と陸奥国刈田郡(白石)合わせて2万石の加増のみにとどまり、領地は60万石となった(後に近江と常陸に小領土の飛び地2万石の加増で62万石となる)。