戦国グッズ

島左近マグカップ
島左近マグカップ 島左近マグカップ

島左近マグカップ

品番: 040
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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simasakon.jpg 島 清興(しま きよおき)は、安土桃山時代の武将で石田三成の家臣(軍師)。通称である「島 左近(しま さこん)」の名で一般に広く知られ、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの人物であった(本項目でも、特に断りが無い限りは「(島)左近」と表記する)。実名は俗に勝猛(かつたけ)ともいうが、文書から確かなのは清興(きよおき)である1。娘(珠)は柳生利巌の継室で、剣豪として名高い柳生厳包は外孫にあたる。

対馬国出身説もあるが現在では大和国出身であることが明らかとなっている(近年では「島左近」は筒井氏家臣である島氏代々の名乗りで清興以前にも「島左近」を名乗る者がいたという説もある)。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前日には、会津の上杉景勝、また北からの万一の伊達政宗の裏切りに備えて江戸からなかなか動けないはずの家康の美濃赤坂到着の報に動揺する西軍の兵たちを鼓舞するために、兵五百を率いて東軍側の中村一栄・有馬豊氏両隊に小競り合いを挑み(杭瀬川の戦い)、明石全登(宇喜多秀家家臣)隊と共に完勝した。しかし、その夜に島津義弘・小西行長らと共に提案した夜襲は、またもや三成に受け入れられずに終わった。

関ヶ原の戦い本戦においては、最初は西軍有利に進み、左近も自ら陣頭に立ち奮戦するが黒田長政の鉄砲隊に横合いから銃撃され負傷、一時撤退する(この時、死亡したとも)。正午過ぎ、小早川秀秋の寝返りを皮切りに西軍は総崩れとなった。左近は討ち死にを覚悟して再び出陣、正面の田中吉政・黒田長政らの軍に突撃し、奮戦した末に敵の銃撃により討ち死にしたという。最期の折の勇猛さ・狂気じみた奮戦ぶりは東軍諸将のあいだでも語り草となり、黒田隊の兵士たちは関ヶ原から数年が過ぎても悪夢にうなされ、夢枕で左近が発した「かかれー!」の声を聞いて恐怖のあまり布団から飛び起きたと言われる。江戸初期、筑前福岡城において関が原に出陣し島を目撃した武将達が島の服装について若侍相手に語り合ったが、物指、陣羽織、具足に至るまでそれぞれの記憶が違い、これは島のあまりの恐ろしさの故に記憶が定かではなかったためとしている。