戦国グッズ

本多忠勝マグカップ
本多忠勝マグカップ 本多忠勝マグカップ

本多忠勝マグカップ

品番: 042
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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honda.jpg 本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。

安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として天文17年(1548年)、三河国蔵前(現在の愛知県岡崎市)で生まれる。幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣する。このとき、同時に元服した。

永禄6年(1563年)の三河一向一揆では、多くの本多一族が敵となる中で、家康に忠義を尽くして武功を挙げた。永禄9年(1566年)には19歳にして同年齢の榊原康政や本多正重、都築秀綱らとともに旗本先手役に抜擢されて、与力50騎を付属される。以後、忠勝は常に家康の居城の城下に住み、旗本部隊の将として活躍した。

元亀元年(1570年)の姉川の戦いにも参加し、元亀3年(1572年)の二俣城の戦いの前哨戦たる一言坂の戦いで殿軍を努め、武田方の小杉左近から「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」との狂歌の落書をもって賞賛されたことが有名である(「唐のかしら」は家康が趣味で集めていたヤクの尾毛を飾りに使った兜を指す)。12月の三方ヶ原の戦いにも参戦した。天正3年(1575年)の長篠の戦いにも参加する。

天正10年(1582年)、本能寺の変が起きたとき、家康は忠勝ら少数の随行とともに堺に滞在していたが、家康が京都に行って信長の後を追おうと取り乱したのを忠勝が諌めて、「伊賀越え」を行わせたという。