戦国グッズ
長宗我部元親マグカップ
品番: 052
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: nakamizo
価格: 1,200円(税込)
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。土佐の戦国大名。
本姓は秦氏。家系は秦の始皇帝を祖とする秦河勝の血筋と伝わる長宗我部氏。長宗我部氏第20代当主。第19代当主・長宗我部国親の長男。母は美濃斎藤氏の娘。正室は石谷光政の娘で斎藤利三の異父妹。諱は元親。管領細川晴元の偏諱を受ける。側室に、明智光秀の妹の娘がいる。
22歳の時に初陣を飾り、「鬼若子」といわれるほどの働きを見せる。家督を継いで以降は土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波の三好氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏らを破って四国の覇者となる。しかし織田信長の手が差し迫り、その後は信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。
天正14年(1586年)、秀吉の九州征伐に嫡男の信親とともに従軍し、島津氏の圧迫に苦しむ豊後大友氏の救援に向かう。しかし、12月の戸次川の戦いで四国勢の大将仙石秀久は元親や十河存保らの言を容れずに島津軍の策にはまって敗走し、この乱戦で信親は討死した。
天正16年(1588年)、本拠地を大高坂城へ移転する。その後に起こった家督継承問題では、次男の香川親和や三男の津野親忠ではなく、四男の盛親に家督を譲ることを決定する。その際、反対派の家臣であり一門でもある比江山親興、吉良親実などを粛清し、盛親への家督相続を強行している。
天正18年(1590年)の小田原征伐では長宗我部水軍を率いて参加し、天正19年(1591年)1月、浦戸湾に迷い込んだ体長9尋の鯨を数十隻の船団と100人余の人夫でもって大坂城内へ丸ごと持ち込み、秀吉や大坂の町人を大いに驚かせた。年末頃には本拠を浦戸城へ移転する。
天正20年(1592年)から朝鮮出兵(文禄・慶長の役)にも従軍する。慶長元年(1596年)にはサン=フェリペ号事件に対処し、秀吉によるキリスト教迫害の引き金を作った。領内では検地を行い、慶長2年(1597年)3月に盛親と共に分国法である『長宗我部元親百箇条』を制定する。
