戦国グッズ

福島正則マグカップ
福島正則マグカップ 福島正則マグカップ

福島正則マグカップ

品番: 056
サイズ: 12.0cm×8.3cm×h7.5cm
重量: 260g
容量: 260cc
価格: 1,200円(税込)

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hukusima.jpg 福島 正則(ふくしま まさのり)は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名である。

武勇に優れた正則は文治派の石田三成らと朝鮮出兵を契機としてその仲が一気に険悪になり、慶長4年(1599年)の前田利家の死後、朋友の加藤清正と共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。この時は徳川家康に慰留され襲撃を翻意したが、その経緯から家康の昵懇大名の一人となる。

また、姉の子で正則の養子になっていた正之と家康の養女・満天姫との婚姻を実現させた。これは諸大名の私婚を禁じた秀吉の遺命に反するものだったが、正則はこの婚姻こそが豊臣・徳川の将来の和平に繋がると確信していた。

慶長5年(1600年)の会津の上杉討伐には6000人を率いて従軍。その途中、上方で三成が挙兵した報を受けての小山評定では、家康の意を受けた黒田長政にあらかじめ懐柔されていた正則が三成挙兵に動揺する諸大名の機先を制して、いち早く家康の味方につくことを誓約し、反転して西上する方針が決定する。清洲から美濃方面に進軍し、西軍の織田秀信が守る岐阜城攻めでは池田輝政と先鋒を争い、黒田長政らと共同で城を陥落させる。

関ヶ原の戦い本戦では当初石田勢との対陣を希望したが結局叶わず、更にこれまで幾多の戦いで先陣を務めたにも関わらず、井伊・松平らに抜け駆けされ激怒する。彼らの挑発に乗せられる形で戦端が開かれ、宇喜多勢1万7000と激闘を繰り広げた。宇喜多秀家隊の前衛8000を率いた明石全登は音に聞こえた勇将で、福島勢は一時500メートルあまりも押しまくられ、壊滅寸前に追い込まれる。血相を変えた正則自身が叱咤して何とか持ちこたえ、一進一退の攻防を続ける。

やがて小早川秀秋の背信を機に西軍の戦線は次々に崩壊した。甚大な被害を受けながらも、福島正則隊は宇喜多勢を打ち破ることに成功した。こうして東軍の勝利に貢献第一と目された正則は西軍総大将・毛利輝元からの大坂城接収にも奔走し、戦後安芸広島と備後鞆49万8200石の大封を得た。